大須はどんな街?
町名と大須観音
中区の町名一覧には大須一丁目から四丁目があり、いずれも住居表示が実施されています。大須二丁目の大須観音は北野山真福寺寶生院といい、もとは尾張国長岡庄大須郷(いまの岐阜県羽島市大須)にありました。徳川家康が名古屋の町をつくる際、慶長17年に現在地へ移され、「大須観音」と呼ばれるようになりました。[1][2][3]
大須の歴史
中区の史跡散策路は、大須をかつて城下の南の寺町として栄えたまちと紹介しています。大須二丁目の七寺は慶長16年に、大須三丁目の万松寺は慶長15年の名古屋城築城のときに現在地へ移りました。万松寺が大正元年に境内の大部分を開放したことで、大須の繁華街が広がりました。大須観音の真福寺(大須)文庫には、国宝の古事記などが収められています。[2]
いまの大須
名古屋市の区政概要は、大須地区を下町情緒と若者文化、懐かしさと新しさが溶け合い、人通りが絶えないまちと紹介しています。大須観音の周辺では、家具や既製服の卸・小売業が営まれてきました。大須二丁目の大光院は赤門で知られる寺院で、「大須・赤門通」という地名はこの寺の赤い門に由来します。[4][2]
イラストは町の雰囲気を描いたもので、実在の建物・場所を正確に表したものではありません。価格は地価に連動した相対的な順位で、資産価値を示しません。換金はできません。